「美しく平和な地球」の空間的背景
まず理想的な「母なる地球」構想を実現するためのプロセス「Motherly Earth “夢大地” Project」をまとめ上げていく過程において、様々な変数(不確定要素)を確定(仮定・決定)していかなければなりません。そして、まずはどんな不確定要素があるのかを知らなければなりません。しかし、今後ますます未曾有の不確定要素が発生していきますので、全てを知ることはできません。であるならば、「在りたい姿」から導き出して確定していかざるを得ないのです。
そのためにはまず、私たちが住む「母なる地球」=「Motherly Earth」にはどのような空間的背景が在り、そこには、どんな不確定要素=変数が存在しているのかを知っておきましょう。
「宇宙」
無限ともいえる大宇宙・・・そこには、それぞれの惑星間の距離、誕生期、生命体の有無、進化の度合い・・・という「時・所・位」相応の価値観、変数が存在します。
1907年11月のある日、アインシュタインは「人が落下しているとすれば、その人は体重を感じないだろ
う」という突然の閃きを受け、一般相対性理論を導き出しました。その閃きから100年余りが経過した現在、地球人はやっと重力支配の思考から無重力の世界に第一歩を踏み出したばかりなのです。
・・・別紙「夢大地」テキスト:「無重力思考」参照
残念ながら現時点では、地球に住む人間は「地球」という視点からしか「宇宙」を見ることができません。どれだけ現代の科学が進化しようとも、未来永劫、宇宙全体の真理は解明できないのです。なぜなら、現代の科学自体が地球的発想(素粒子物理学と宇宙論の関係、すなわち3次元だけでの思考=地球上の時間、空間の観念)だからです。全ての科学の原点が地球に立脚しているのです。何せ、宇宙を地球の方程式で説明しようとしているのですから・・・
そうであるなら、私たちはそろそろ地球的発想である科学万能の立場、思考から、全体論的(統合的)発想の思考を始めなければなりません。世界には私たちの常識では理解できない視点(才能、役、使命)を持った人々がたくさんいます。ここ300年間、近代科学はそれをことごとく無視、或いは否定してきました。300年の長きに亘って培ってきた科学的枠組み(パラダイム)を変更することは、現在の人間の精神的進化レベルからすればかなり難しいことです。しかし、科学の限界を知った今、これからは科学という学問に都合の悪い事を「排除」や「否定」という手段ではなく、そういった方々の視点をも大いに取り入れ、「統合」という概念で全体をまとめあげていくべき変革の時期に来ているのです。

「地球」は「大宇宙の一員(メンバー)」であり、大宇宙は完璧に機能している・・・「全機」・・・その全体としての完璧さの中に地球は存在しているということを忘れてはいけません。
本来「地球」は、無限ともいえる大宇宙の中の一員なのですから、「地球」の在るべき姿は「宇宙」の在るべき姿から導き出さなければならないのですが、前項で述べましたとおり、残念ながら現時点では、地球に住む人間は「地球」という視点からしか「宇宙」を見ることができません。
まず、地球に住む人間はまだそのレベルであるということを、しっかりと認識した上で、絶対的に崇めていた科学を妄信するのではなく、常識にとらわれない自由な思考で、謙虚に地球を見つめなおすことから始めるしかないのです。
つまり、現在の科学技術では宇宙全体の真理を解明できない(見渡せない)以上、「宇宙のために」ではなく「地球のために」という思考で「地球の在りたい姿」を思い描くしかないのです。そして、地球全体が進化していく段階で、徐々に解明されていくであろう「宇宙の存在」に照らし合わせ、「地球の在るべき姿」に変化(進化)させていきましょう。
その基本は、「人間は地球のために、地球は全生命のために存在している」という「自然愛」です。
「国」
「地球」という大自然の中の一部一部を借り受けて存在しているのが「国」・・・そこには様々な生物、民族、宗教、文化、言語・・・という「時・所・位」相応の価値観、変数が存在します。その「国」の「在るべき姿」を考察しましょう。
その基本は、「国民は国のために、国は国民のために存在している」という「祖国愛」です。
「郷土=地域」
「国」という全体を構成しているのは、様々な特色を持った「郷土=地域」です。・・・そこには様々な気候的特色、名所、特産、方言・・・という「時・所・位」相応の価値観、変数が存在します。その「郷土=地域」の「在るべき姿」を考察しましょう。
その基本は、「住民は郷土のために、郷土は住民のために存在している」という「郷土愛」です。
「コミュニティと人」
「郷土」を構成しているのは、様々な個性を持った「コミュニティと人」です。・・・そこには様々な家庭環境、性格、個性、才能・・・という「時・所・位」相応の価値観、変数が存在します。その「コミュニティと人」の「在るべき姿」を考察しましょう。
その基本は、「個人は家族のために、家族は個人のために存在している」という「家族愛」です。
個人は個人として単独で存在しているのではありません。人もまた、大自然の一員(メンバー)であるということを忘れてはいけません。そして、「自然愛」「祖国愛」「郷土愛」「家族愛」の全ての根幹は、「自己愛」であり、その基本は「一人は周りを愛し、周りは一人を愛す」ということです。大自然を含めて私たち全てが「ひとつ」だと考えれば、全ての問題は消えてなくなっていきます。
一人は周りのために、周りは一人のために存在するのですから・・・。












